Mr.Sコンサート

千と千尋の神隠しをみた方も多いと思いますが。
あの油屋に客としてやってきたお腐れ様。どろどろに腐敗したその姿はどんな薬湯であっても洗い流すことはできませんでした。千は、その身体に刺さっているものに気が付き、それを必死に抜きとります。その棘が抜けたとき、体の中にたまりきっていた腐敗物が一気に流れ出し、その中心から現れたのはお腐れ様などではなく、高貴な河の主でした。本来の姿を取り戻した河の主は龍に姿を変え油屋をあとにしました…。
今回のスマコンをみて最初に思い出したのはこれでした。


SMAPというものにくっついてきた色々な色を落とし足かせになった重りを外した先にあったコンサートという感じがしました。目新しい演出はなく、ステージの形こそ特殊ではありましたが、SMAPが五人でいる自分たちをみせるためにつくりあげられた実にシンプルなコンサートなんだ、って。
中居さんというひとがつくりあげてきたかったSMAPというものが、世界にひとつだけの花という一つの曲により方向がかわったのだろうか、っていつも考えていて。
多分、めざしていた「高さ」には到達したと思うんです、あの曲のおかげで。でも中居さんがたどりつきたい「場所」とは違うところに立ってしまったんだと思うんです。たどりついてしまったその場所から、自分が目指していたその場所にはどうやっても直通の道がなくて、中居さんはいったんはスマップをあきらめたんだと思うんです。
中居さんは自分でその場所に自分を刺したのだと思う、見えない棘で。自分の操縦するスマップというものではなく周りが作ってくれるスマップという器のなかで諦めつつも悶々とはしていたんだろうと思う。その棘を抜きたいと思ったきっかけは分かりません。分からないけれど、もう一度めざした場所にたどりつくためにもがきはじめた。もがいて、もがいて、その棘に気が付き手をかけてくれたのはやっぱりスマップのメンバーだったのだろうと思うのです。


たくさんの斬新な技術を使い、大がかりな演出を行い、それこそありとあらゆるものを飲み込んで巨大になっていったスマコンというものも、今回は本当にシンプルになっていたと思いました。いらないんだって、気がついたんだなあ。そこにステージがあり、そこに五人が立っている。そのことがもう全てを成立させてしまうんだってこと。それがなによりもあの人たちの武器であること。スマップにとっての武器はスマップ以外存在しえないこと。


ずっと、少しだけ邪魔くさかった。世界平和も、勇気も、どれもこれも。存在が大きくなり、もう自由にしていられないとするなら、そんなものアイドルなんかじゃないって思って悲しかった。アルバムを聞いても、スマップの歌にきこえなかった。それもすごく悲しかった。誰かの想いを代弁させられているだけに思えた。自分で訴えればいいじゃない、自分の歌でそれやってよ、何度も思った。多分はじめて言うけど!はじめてじゃないかも!(どっち)

スマップ節目の50曲目、そこに突如あらわれたJOY!!という、その曲。
「忘れかけてた魔法とは」
ものすごく痛烈な一言だよ!!!!!
それ、女教師メガネをして指示棒を中居さんにつきつけながら「あなた、忘れかけていた魔法…とは?」って聞いてみたいもん。
ね。
つまり、JOYJOY!
おかえりなさい、スマップ。
そして、多分全部を飲み込んだんだ。それまでの世界平和の歌も、過剰に勇気を与え続ける歌も、全部ちゃんと、自分たちのものにしたんだ。それを腐敗物とはしないで、自分たちの宝にかえたんだ。


今回のコンサート、本当にすごくすごく大好きです。
SMAPがSMAPであることを心から楽しんでいて、そしてお互いがお互いをちゃんと見ている。スマップが地に足つけてる、って感じがすごくする。本当に最後、地に足つけて去っていったしね!

あの頃の未来に、スマップはきっと今たっているのだと思う。
そしてそれを想うからこそ、私たちはスマップの歌声をきいて涙するのだと思う。
距離が、近い。
私たちとスマップの、心の距離が本当にすごく近い。
しあわせをたくさんもらったから、しあわせをたくさんあげたい。キラキラのファンの笑顔を持って帰ってほしい。私たちを大好きでいてほしい。スマップがスマップを大好きでいてほしい。ありがとう。あふれ出る想いはすべてが上向きで、しあわせ。そんなコンサートでした。


続きはのちほど。コンサートの本編についてだよ!それが要だよ!