SMAP。

「応援してくださる皆さん」
SMAPは私たちのことをこんな風に呼びます。

応援してくださる皆さん、コンサートに足を運んでくださる皆さん。
わたしは、SMAPから「ファン」と言われたことは、あまりないなあと、そんなことを思って私は五人の言葉を読みました。

25周年のこの年、まずは長いあいだSMAPでいてくれてありがとう。私たちに夢をみさせてくれて本当にありがとうございます。ばかみたいだと思われるかもしれないけれど、彼らがいてくれたから救われたこと、たくさんあります。頑張れたこと、たくさんあります。25周年、9月にはまだ早いけど、本当に本当におめでとうございます。

一月にも思って、少し呟いた記憶もあるけども、SMAPSMAPでいる理由のひとつに私たちの存在というものが間違いなくあって、SMAPでいてもらうために背中をおした私たち、という感情は私のなかのどこかにずっとやっぱりある。
こうなったら、多くのものを犠牲にしてアイドルをやっている彼らの(おそらく)最終形態を見守ってやろう、その引き際というものがどうなるのか、それこそおじいちゃんになってもSMAPでいるのか、だとしたらコンサートはどうなるのか、うちわとペンラで両手をふさぐのはおばあちゃん危ないからってんでシニア対応グッズ「ペンライト付きスティック(有体にいえば杖!)」が出てくるのか(笑うところ)、ディナーショーのような形にかわってくるのか、木村くん以外の四人は結婚するなり良きパートナーを得て人として本当は当たり前の場所を手に入れるのか、できればアイドルとして未知の領域を切り開きながらも人として安息の場所を得てほしいなあ、万が一これからどこかで解散という言葉が出てきたとしても、そのときにはまっさきに私たちにその言葉を届けてくれるだろうし、それくらいの信頼関係はとっくに築けているんだろうとも。そのときには驚くし当然さみしいし泣くだろうけど、腹をくくるんだろうななど、色々なことをくるくると思っていた。

私はコンサートでしか彼らに会えないから、そのときには私の身体中のキラキラを全部彼らにぶつけて栄養にしてもらおうと思っていて、でもいつだって私の全部以上に彼らからキラキラの栄養をもらってつやつやになって帰路につく。たった五人が五万人をきらきらのつやつやの幸せにする、五万人が五人をキラキラのつやつやにする。コンサート会場での私たちは(気持ち悪いなと思う方もいるだろうが)そのくらいの素敵な関係性になっていたと思う。特にここ数年。

私はまだ、彼らからひとつも言葉をもらっていない。
だから、毎日あふれかえるくらいに出てくる嫌なニュースやコメンテーターの言葉は空の上のできごとみたいだ。
くくる腹も、まだへにょへにょだ。とてもじゃないがくくれない。

あれほど、一月のときには「四人が独立したがっている」んだという構図をつくりあげていたのに、だれひとり事務所を出る決断をしなかった。五人がそのまま揃って事務所に残る。SMAPという名前を手離してでも守りたかったものが、きっとそこにあるんじゃないか。そんな風に思います。もしかしたらその考え方はまったく逆なのかもしれないし、いいことなんて一つもないのかもしれない。でも、絶望のまま歩いていくなんて私にはできないのです。

SMAP、つらいだろうな。罪人でもないのに、きっと彼らはいま行動も制限されているんだろう。私は美味しいご飯を食べにいったり映画をみたり外にポケモンを捕まえにいったり、結局所詮はそんなものだ。彼らがいま地獄の何丁目で物を考え決断しているかすら、知らない。

くちをひらけば、呪いの言葉のようなものがはみ出しそうになる。でも、堪えて、いのりの言葉にかえたい。どうか、彼らをとりまく環境がやさしいものでありますように。木村くんがいつものように強い目でこう言ってた、エンターテイメントの力を信じてるって。どうか、彼らが信じて飛び込んだその道がこれから先の未来にも続いていきますように、どうか閉ざされませんように。心からそう願っています。








っていうか、SMAPがなにしたよバカヤローー(ああ、いのりのことばに変えなければ…)
声をきかせてくれ、SMAP!わたしの頭髪が十割禿げあがる前に!そのくらいのことさせてくれたっていいだろバカヤローーーーーーー(いのりの…)