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二都物語の感想 いち

スクネが生き抜いた、物語でした。
いま私の胸の中に巣くっているかなしみは、きっとスクネがずっと感じ続けてきた、かなしみなんだろう。
スクネは死に、そのかなしみは私たちが感じる側になった。
こんな風に、人のかなしみをうけとり、そのたびに心を痛めて生きていくしかなかったのだとしたら、スクネと言う人は何とつらかっただろう。地獄みたいだ。
ミミを失って18年たったスクネの身体は、傷が増え、身体にはタトゥーが増えていました。
私はあれを見ながら、18年間、きっとスクネはかなしみを受け取るたびに絶望におちて、そして自分で自分を傷つけていたのではないかと思ったのでした。死にたくても、きっとそのときには自分の中から生まれ出る恐怖や悲しみを受け取ってしまい、二人分の悲しみに支配されてしまっていたのだろうと、感じていました。
あのひとは、死ぬこともできなかった。せめて、自分で自分に傷をつけて正気を保つしかなかったんじゃないかしら、そんなふうに。
処刑台が出てきてスクネが死を迎えた瞬間、腹の底から湧きあがってくる「いやだ」という激しい想いと一緒にもう片方から舞い降りてきたのは「やっと死ねたね。よかった」という思いでした。こんなふたつの感情が私のなかでぶつかりあって、もうどうにもなりませんでした。声をあげて泣き出したいくらい。

きっと、しあわせだったんです。
そしてそれは本当にかなしいことだったんです。
これ以上ない、死に方だったんです。
こんなことで死んでほしくなんてなかったんです。
あの人はしあわせになれる人じゃないよなあと思ったんです。
あの人にどうしてもしあわせになってほしかったんです。
スクネをおもうとき、相反する感情がぐるぐると心を突き動かして本当に苦しいです。
北の岩戸で、きっと鳩尾あたりにこぶしをいれてマナコを失神させたのでしょう。自分の首にかけられたネックレスをぎゅっと握りしめたでしょう。きっと、笑っているんです。スクネは。希望の光のために最後生きられたことに感謝して、そしてその希望を守り抜いていってほしいと彼にたくして、マナコの首にネックレスをかけたのでしょう。最後をセッポコに託して、そして処刑の時をむかえるまで、あの北の岩戸でひとり。
最後、サクヤの赤ん坊を囲みながらのスクネの独白。あれは、あの夜、北の岩戸でひとり、想ったことだ。観劇後、あすかさんがそう言ったとき、私はまた泣きました。そうに違いないと、それしかないと思った。
地面に描かれている少女の線をなぞりながら、きっと穏やかにほほ笑みながら、彼はあの言葉を紡いだのだと、私も思う。そのときのスクネは本当にしあわせだったんだと思う。そしてそれを受け取る人々はかなしみ、心が引きちぎれるかと思い、それを抱えて生きていく。
スクネは死に、サクヤは家族とともに生きていく。あの赤ん坊をスクネの生まれ変わりだと思いたいのは生きているものの勝手であって、あれはスクネではないと思うのです。スクネは死にました。生き抜いて、死んでいきました。