任侠ヘルパー

最初に立て続けに見ていたときに感じた、もう少し時間があったらよかったのにという感想は、見事にひっくり返されました。
むしろ、こんなにも限られた時間のなかで、こんなにも緻密に描きこまれていたの?と驚いてしまうほどに、必要なことは全て描かれていたと思いました。私、初日は本当に何をみていたのかしらね。アニキに夢中すぎたのですかね。回を重ねたから慣れただけ、というのとはまた違うんですよね。うん、本当に全部無駄がなくて必要なものは全て入ってる。

映画のオープニングから、物語はトップスピードに入っているじゃないですか。あれがまた凄いと思う。あっと気がついたらあの世界観に飲み込まれ、ん?と気がつくと主要キャストの紹介がすべて終わっている。え、と思う暇もなく物語はますます加速して私たちを完全に作り込まれた世界に飲み込んでいってしまう。極道サイドにも介護・老人サイドにも手をぬかず二つの物語をつねに全力疾走させているのに、それらがぎくしゃくすることもなくて、ふたつが絡み合うときには反発しても不思議ではないのにそれがとんでもない太い軸となってフルパワーで向かってくる。
日本に、こんな映画脚本をつくれるひとが、いるなんて、すごい!あれを、撮りきれる監督がいるなんて、演じきる役者達が、

Beautiful Worldは、翼彦一の歌だなあって思う。
安住の地をもたない、彦一の歌。
空を伝う、流れて、それでもまた、揺られて、風になって、愛を唄う
歌を頭の中で流しながら、最後に携帯を投げ煙草を投げ、死にに行く彦一を思うと、ほんと私はおかしくなったんじゃないかしらと思うくらいに涙が出るんですね。
私の後輩の男の子は、あのシーンをみてむしろ血が騒いでわくわくしてどうにもならなかったと言い、このあたりが男女の差なんじゃないかと思っている。彦一というひとを、どういう風にとらえているかの違い。
きっと私は彦一にいつか安住の地を、母を思い浮かべなくてもよい恋人を、ただ穏やかに生きていける日々を、与えてやってほしいと思っている。だから哀しくなる。あの人の命は、決してあの人だけのものじゃあないのに、あの人はそれを分かっちゃいなくて、しょうがねえなあ…あいつらせっかく今笑ってんのになあもう泣かせたくねえなあ(ぽりぽり)という感覚で命を投げてしまうことが哀しくてどうしようもなくて心が痛むのだと思う。
自分のことにはとことん鈍いくせに、葉子のほんのささいな目線だけで何もかもを察知して自分の想いを閉じ込めて、葉子の手の中からもがいて逃げていこうとする、哀しい鋭さも。

好きな場面はたくさんありすぎて、いちいち書いていたらどうにもならなくなるので書かないけれど、あ!最後の駅のシーン!あのニット帽の片眼の彦一!!!あの美しさ!!!!!
ぼっこぼこなのに、へろへろなのに、片眼しかでていないのに、というかむしろ片眼しかないからなのか、あのひとつの目に集約された力強さとか凛とした美しさとか、もう凄かった。ドンッとスクリーンにうつされたときにはヒイィッて息を飲むしかない、あの人の生きていく強さみたいなものをまざまざと見せつけられた感じがします。あの美しさ、なに?だれか、140文字で説明せよ……(無理)

また書きます。浮遊中の、まとまっていない想いもあるのです。