SMAPおじさんのこと

こんばんは、あやのです。
あ!一番上でお願いしている件だけど2008年のコンサレポはそろいました!ありがとーう!他の年のレポとかレポに限らず、保存してあったりプリントアウトしてあったりという方がいたら是非にお知らせください。へそを揺らして喜びます。


そんなわけでタイトルどおりSMAPおじさんのことを。
27時間テレビからはじまって音楽の日も堪能して、いまだにリピが止まらないんですよね。見過ぎじゃね?って自分で自分に突っ込みながら毎晩ほんの少しの時間をみつけてはリピしてる。キモ〜って思いながら。
27時間テレビのオープニング、最後の質問。
SMAPとはなんですか」と問われての木村さんの答えが「かえれる場所」でした。
木村さんにとってのホームがSMAPであることの嬉しみ。ほんとう、何度見ても思います。年とるのって悪くないなあって。
おっさんら、年重ねたらまんまと丸くなってるしすげえ可愛いし支えあっちゃうし、おまえらどうすんの今そんな可愛くてもしかしてまだ可愛さの余白残してんの?この先もっと可愛くなるつもりなの、天井知らずなの?なんなのばかなのと永遠に呟き続けたくなるやつです。ほんとうに。
SMAPと自分の間に、確かに一本線を引いたときがあった。あったはずだ。
テレビの前の私でさえそれをなんとなく感じたのだもの、それは本人の意思として示したのだと思う。その線を「あほやなあ」とピーーーッと剥がしてくれたのはさんまさんだったんだと思う。キムタクを木村拓哉と同化させてくれたのも。
さんまさんは相変わらずSMAPと絡んでも大して面白くないし(あ)なるべく時間短縮の方向でお願いしたいけど(あ)中居さんや慎吾や剛にタモリさんがいてくれたように、木村君にさんまさんが現れてくれて、そこだけは本当に感謝していいみたいな(なにさま)
とにかく42才の木村さんにとってのスマップっていうのは、多分きっと考えて出す答えとかじゃなくただ当たり前に「かえれる場所」になったんだなあって思う。それがすんごく嬉しい。
日曜日の未定コーナー、木村さんと剛が並んでいて、木村さんはもういまにも寝てしまいそうにぽやぽやしていて、剛がなにかいうたびにけだるそうに剛のほうを向いたり目じりに皺をよせて笑ったりしていた。あれ!あれ見て泣かないでいられるの!!!わたし、あんな木村さんと剛をまた見られるようになるなんて本当にちょっと前まで思ってなかったもんなあ。このへん書きはじめると長くなるから書きませんけど、わあ、ちゃんと向き合えてるんだあって思ったのでした。剛が何か言えば舌打ちでもしてどっかいってしまいそうな雰囲気まるだしにしていた頃だってあったでしょうにおじさん!なんなのその甘ったるい顔は、いいぞもっとやれ。


ノンストップライブのことはそれだけでだいぶ書いてしまいそうだからどうしようかと思うんですけど、もう辛抱ならないんで叫びますけども。
あの衣装!あのひらひら!あれ天才!天才だよねまったく!
バッテリーからのトップオブザワールドとか世界征服感ハンパないしラスボス感凄過ぎてもう一撃でころされるやつですけど、あれすごいですね。コンサートツアーを控えてるのにですね、あれだけ本気の衣装と本気の曲順かましてきてるわけですよ。どうなるの、ねえツアーどうなるの。心臓もつの?いやホントに心配。ツアーきてみ?これ以上にぶちのめしてやんよ、っていう宣戦布告なんでしょ?なんなの!受けて立つけどすぐしんじゃう自信あっからね?
もうほんと鳥肌たつくらいおそろしかったのはあの27時間テレビの翌日にきっちり青封筒が届いたところですよ…。こわすぎる。そして27TV後の新規会員もコンサート申込み間に合うんだってところだよ!ああああ、もうしっかりしてる!しっかりしてる!!いいよもう、いくらでももう私たちからはぎ取っていってください。もう観念しました。そのかわり、おじさんたちがのぼりつめているその先を、どうか一緒にみさせてください。いつまでも夢をみさせてください。ゆるぎないその世界をわたしたちにいつまでも雲の上からえらそうにふんぞりかえって見せてください。本望です。どえむです。

少しずつ語る。


27時間テレビが終わってもう一週間以上たちますが、いまだにまだ新鮮に録画したものを見てはああだこうだと考えておりますあやのです。思いつくままにだらだらと何回かに分けてUPしてみようかなあと。真面目なはなしは最初にしちゃうよ!


武器はテレビ、と言ってはじまった27時間テレビ
中居さんが何度も言っていた「限界を超えられなかった」というのは一体なんなんだろう。
武器は、君の武器は?
あのひとたちは、武器はテレビ…それごと全部ぶち壊してやろうと、そう思っていたんじゃないか。
アイドル氷河期を生きてきたスマップ、音楽番組のないなかでバラエティ番組のなかで十把一絡げの扱いを受けながらテレビに向かって笑顔をむけ、隙をねらっては歌を披露し、自分たちをアピールしてきた彼ら。テレビがつくりあげたスマップという虚像を、あの最後のライブでぶち壊したかったのではないか。だからこそ中居さんはいくつもの言葉を重ねてあのとき悔しさを前面にだしたのではないか。
コンサートに行ったひとしか感じることができない、現場の生のとてつもない高揚とか、五人が揃い踏みしたときの半端じゃないオーラとか、普段テレビからは伝わらないスマップをテレビにぶちこんで、今までのテレビの中のスマップを壊してやろうと思ったんじゃないか。なにげなくテレビの前にいる視聴者にも、はらはらと見守っているファンにも、同じだけの強さでそれを投げつけたかったんじゃないか。日曜日の夜7時のライブの意味って、そこにあるんじゃないか。
すげぇなスマップ、ただただ、そう思わせたかったんじゃないか。
そんな風に感じたのでした。
もしもそうだったとしたら、さぞかし悔しかっただろうと思う。それはほとんどすべて私たちの真ん中にドンッと突き刺さったけれど、それでも悔しかったと思う。あんなふうになっても自分のところは完璧にこなして凄いね中居君、そんな言葉は欲しくなかったと思う。自分だけがそんな風に注目されることは、きっと決してあっちゃならないことだったと思う。


それでも、それでも、凄かったと、心から思うわけです。
俺たちはアイドルだ、ここが俺たちの土俵だっていうのがビシバシ伝わったし、あのとき確かにテレビごと全部飲み込んだと思う。
武器は、スマップ。
その瞬間を間違いなく見せてもらったと思ってる。


そこからの流れで五人でよたよたと歩き、森君からの手紙が読まれたあの場面…。本当にあれはいい流れだったなあ。手紙がはじまり、気がついたら観衆もいなくなってとても静かに五人が森君と向かい合っていた。あのときアナウンサーがどうでしたかとマイクを向けなかったのも本当に良かった。誰もそこに入り込むことなんてできないもの。
そしてあの森君の手紙は、森君のスマップの時間は確実にあのときに止まっていて、そしてスマップとしての五人は森君よりもずっと先にすすんでいるんだなあという当たり前の現実も見せてくれたのでした。でも、それでいいんだと思った。五人にとっての森君もあの頃のままなのだから。あのころを共有しているという、その事実があの人たちのお互いの力になっているんだろうと思うから。
森君の手紙を聞いている慎吾の、あのくしゃっとした表情が「スマップでくるしいこともたくさんあったんですけど」とタモさんに向かって話した時のあの慎吾と重なった。あの三月の夜、慎吾は森君のことを思い浮かべたんだろうか。あのときと同じように小さな子供のような表情をしていた慎吾。かわいい、かわいいと言われるたびに子供に戻っていくみたいだった。
慎吾にとって森君というのはまだ柔らかすぎて触れられないものなんだなあと思う。あの子自身も、その柔らかなものをどうしていいか分からなくて黒い布にくるんで心の中に押し込めてあるんだなって、思う。どれだけのショックだったんだろう、慎吾にとって。森君を坊主にしたくらいで切り替えができるほどまだ大人じゃなかった。スマップは止まらない、森君がいなくなったから失速したと思われるわけにいかない、感情を押し殺す、青いイナズマ…SHAKE…ダイナマイト…五人のスマップは加速していく、森君を処理できないまま立ち止まることもできないで。
慎吾が森君を必死に封印したんだと思うと、胸のあたりがぐうっと苦しくなってしまう。いつかそれを解放してあげられたらいいのに、と思う。


つづく

大縄跳びで入るタイミングをすっかり見失い、もたもたとして「ちぇ(舌打ち)おまえもういいよ、縄まわすほうの係やれよ」と言われて結局跳ぶことが叶わなかった。

ハ?

というわけで、そんな気分と少し似ているような気もしつつ、すっかりブログを更新するタイミングを見失っておりましたあやのです。おまえだれ?ハハアーーッ申し訳ありません、はじめましてでございます。

まあツイッター等をみてくだすっている方は私がすこぶる元気だということはおわかりと思うのですが、もしやブログしか見てくだすっていない人がいらっしゃいましたならば、私は毎日元気にやっているということをまずお伝えもうしあg…(聞いてない?もうすわけございません)

何故出てきたかと言えば、いいともが終わるということを知ったからです。
はじまりがあれば終わりがある。当然のこととは思いますが、ああ、終わるのかついに。という感慨深い気持ちになっているのであります。中居さんがさ、帽子もかぶらずにその日のいいともに出ていたということ。木曜日のつるべえさんがわざわざゲストにきてお話をするということ。木曜日に中居さんが飛び込むんじゃ、やっぱり違うんだろうなあと思ったこと。つるべえさんが出向いてくるということ。いいともにとってというよりタモさんにとっての大事なふたりと一緒にお話をするということ。タモさんらしく、淡々と、ゆるやかに。
鼻がかみたくなったらティッシュに手がのびるように、喉がかわいたらお茶をのむように、意識することすら忘れるくらいにあって当たり前のもの、という感覚でした。企画がおもしろいとかつまらないとかさておいて、そのくらいに当たり前。うううん、さみしいねえ。やっぱりさみしいよ。
二十歳の剛がニャトラを連れてきたのも、自前のジーパンやらピアスやらをファンの子にあげたのも、しんつよが手をつないでいたのも、バカみたいにはしゃいでいたのも、一人になったらなんにもできなくなっちゃったのも、きっとそのころから「剛はそれでいいんじゃないか?」って言ってもらえていたんであろうことも、30歳の誕生日には「ちょっとキテる?」って生放送のオープニングで言われて尋常じゃないくらいの汗かいたことも(笑)あああ、いろいろありすぎですね!
約20年近く、すまっこたちはお世話になったわけですね。ありがとうしかないですね。さみしいですね。

中学生円山

どうでもいいけど、本の表紙くらいジャニーズ解禁でもいいじゃないかねえ(笑)

中学生円山、2回みてきました。
私の感じた、中学生円山です。
この映画、どうぞお好きなように感じてね!という映画じゃないですか。だから10人いたら10人ちがうことを言うと思う。だから、この映画のあとは誰かと喋りたいと思うのです。どう思った?どう感じた?へー!そんな風に思えるんだ!って、いろんな発見をしたいと思うのです。
たまに、ものすごくいじわるな映画があります。表も裏もある映画で、分かりやすく謎めいていて、さあお前たちこの裏を読めるかい?っていう。それはそれで嫌いじゃないけれど(好きな作品なら、という限定ですけど)中学生円山に関しては、そういうのは感じないのです。自由でいいという、気楽さ。感じてもいいよ、感じなくてもいいよ。笑えてもいいし泣けてもいいよ。それは全部正解だよ、という。棘はたくさんある映画だと思うんです。コメディとはとても思えないんです。でも、ここに棘がありますよ迂回路もありますよ、最短距離だと痛いですよ。そういう感じです(わかんないよ)
まあそういうわけで、この映画をみたたくさんのなかの一人が感じた、感想を書きます。へえと思ったり、ないないと思ったり、自由にしてもらえたらと思います。まず、理路整然と感想を書かないほうがいい映画だとも思うのですよ。なんだろう、あやふやなところはあやふやにしておくべきなのかもしれないとかさ。って、わたしは何をだらだらと言いわけじみたことを書いているのだろう?w


「もうすぐ届くよ」

中学生円山の仮面のことを指しているとして、そうなるともう最初っから現実と妄想が入り混じっているんですよね。一番最初に「届いた?」と克也に声をかけたときはまだ中学生円山というキャラクターは存在していなかったわけで。
一回目にみたときは、アダルトDVDのことかなと思っていたんだけど「なにやってんだよ」っていう下井のセリフもあるし、やっぱり仮面のことなんだろうと。あーでも、ただ単に行く先々の中学生にあげているから「中」なのかもしれないし、その辺も謎めいているね!
結局「届かない」仮面に業を煮やして下井さんは赤いガムテープでてづくりの仮面をつくって、そしてドアノブに引っかけて姿を消した。あのとき、もう下井さんはあの団地から逃げていると思うのです。あれが、下井さんのさようならと頑張れ中学生円山、ということだと思うのです。つまりは私は現実世界の下井さんは生きているとしか思っていないのですね。
最後、大ちゃんが銃を持って出てきます。その瞬間、下井の脳裏に浮かぶ光景。亡くなった奥さんとともに海辺でたたずんでいる。大ちゃんが水鉄砲を持って遊んでいる。でも、これ、思い出のシーンじゃないんですよね。大ちゃんは、現在の子連れ狼スタイルでいるわけで。そして、鳴り響く銃声、その現場にはすでに大ちゃんはいないんです。
私が感じたものを言葉にするのはとても難しいのですが、ここは、克也がどうやったら一番じょうずに下井を殺すことができるか、ということを考えてできあがった妄想世界の下井の最期、ということだと思うのです。うーん、わかんないね!あのドアノブの仮面を手に取ったときっていうのは、うーーんと、なんだろうな、下井から一方的に「はい君卒業」と言われているようなものなんじゃないかな。克也にとって下井さんは唯一自分の妄想もチンコ舐めたい!も受け止めてくれた人なわけで、でももう側にいれないこともわかっている。だから克也のなかから下井さんを亡くすことは必要妄想だったと思うのです。そう思えば、小さなころの大ちゃんを知らない克也が海辺の大ちゃんを今の姿のままで描いたことも当然で、あちょっと待って死んじゃう前に俺チンコにベロ届いたからそれだけ聞いてってよ、ってなあんばいで額に穴あいてるのにまだ喋らせるってのも分かるなあって思ったのです。
でもこの映画ってあれですねーこうやってひとつひとつ突っついて見るような映画じゃないですよねー書いてみてそう思いました。こんなの書かないほうがいいなー。そんなこと、どうでもいいんですよね。全部みてどう感じた?っていう、それが大事な映画なんだよなあ。そんなわけで、きっと見た人みんな違うことを思いそうなこの映画。たくさんの人の感想が読んでみたいです。

ちなみに私が好きなシーン羅列。

    • ジャムの感想聞きにいって「906の下井でしたー」ときっもちわるいw笑顔で扉をしめるところ。
    • 自転車に乗れなくて、あれ?あれあれあれ?と笑う下井。あれは悲しい。乗れなくなってしまった自転車のこと、下井さんは覚えていないんだろうか。心のどこかに押し込めているんだろうか。なんで乗れないの?っていうあの無邪気な笑顔、なんでここで出してくるの!って心底震えた。すごいよね…ほんとに。
    • あきらめる下井(笑)あきらめんな!って二回とも心のなかで突っ込んだ。
    • 「いま目をそらしたら意味がでるだろう?」噴いたwww
    • 下井さんの部屋で妄想しているシーン。「楽しいです」と克也が言った瞬間にスッと真顔に戻る下井さん。不穏!
    • 下井にとって中学生っていうのはトラウマでもあるはずで、克也に向かって言った「君の中にある真実が知りたいんだ」「考えない大人になるくらいならずっと中学生でいるべきだ」という叫びはどういう感情のもとに出てくるんだろうな?

10人突っかかってきても俺絶対スマップ守れるよ、今

5スマ旅を見終わって一晩たって、昨日よりももっとじわじわじわじわとありとあらゆる感情がおされています。それで、今日更新されていたSD慎吾の写真をみて、今度はバーンとたがが外れたみたいに、言葉とか想いとか、ぶちまけたくなりました。
スマップがスマップでいてくれて、本当にありがとうしかないのです。

25周年、おめでとうございます。
わたし、本当にいっつも思うけど、やっぱり改めて思うのです。スマップ好きでいて良かったーって。わたしの人生で、本当に自慢できることです。

中居さんのはなしをします。

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三月になってからのものだけ

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出てこないけど、スパイクジョーンズ監督のアイムヒアも。